積水極むべからず

漢文、ときどき読書

李靖と魏徴への敬意

 『隋唐嘉話』*1という唐代の歴史家がまとめた書物に李靖と魏徴と李世民の関係に関する面白い逸話が載っています。

世民は李靖とくつろいだ様子で(私的に)会う時には、常に李靖を「兄」と呼んで臣下として扱わなかった。帝位に即いてからは、魏徴と語り合う時には諱を使って自称し敬意を表したとのこと。

 李靖のことを「兄」と呼んで慕ってるあたり、こう、世民は自業自得とは言え、失ってしまった兄や父との関係を臣下で埋め合わせしようとしてるようなところがあるな~と思って、少し切なくなるエピソード。

 魏徴に対して諱を自称したというのもすごくて、皇帝は原則的には親と天以外には諱で名乗る必要がなく多分「朕」で良かったわけですが、ずっと「世民は~」と自称していたと。『貞観政要』のやりとりから類推して、魏徴に諌言されて反省して「世民は以前のことを反省しています」とか言ってたと想像すると現代人の感覚からするとかわいい気がします。

 李靖や魏徴は世民にとってはまさに「師父」であり「王師」であったということがうかがわれる話だなあと思います。

 史料は以下。

「太宗燕見衛公、常呼為兄、不以臣礼。初嗣位、与鄭公語恒自名。由是天下之人帰心焉」

「太宗、 燕(安)んじて衛公(李靖)に見ゆるに、常に呼びて兄と為し、臣礼を以てせず。初め位を嗣ぎしより、鄭公(魏徴)と語らうに恒に自ら名いう。是に由りて天下の人、心を帰す」(『隋唐嘉話』)

  

*1:『史通』で有名な唐代の歴史家劉史機の息子、劉餗が著者。宋代に『隋唐嘉話』と呼ばれだし、唐代には『国朝伝記』とか『伝記』とか呼ばれてたらしい