高熲の息子
第一次遣唐使の返使として唐から日本にやってきた高表仁という人がいる。
実はこの人、隋文帝の数々の改革を支えた名臣中の名臣、高熲の息子ということが判明。
概説書などでもさらっと触れられることがある高表仁だけど、まさかこんな豪華経歴の持ち主とは。
私にとっては「諸葛亮の息子が仕事で日本に来ていた」くらいのびっくり具合でした。
池田温先生の研究によると、唐代でも尚書右丞・鴻艫卿という高官についていたものの、なんらかの理由で新州刺史に左遷。その後の使者の任命であろう、と。
日本滞在中は冊封を受け入れない日本との間で礼儀上の一悶着があり、「朝命を宣べずして還る」(『旧唐書』)。当時の唐皇帝李世民の言葉を天皇に伝えることはできず、使者としての役目は果たせなかったようです。
詳しいことは大津透先生の『天皇の歴史1』に掲載。
隋代には文帝の最初の皇太子勇(煬帝の兄)の娘と結婚しているらしい。世が世なら附馬都尉、外戚として権勢のただ中にいたかもしれない人ですね。
東海の果ての日本にまで来ることになったとは数奇な運命。ちゃんと唐に帰国できたみたいですが。