積水極むべからず

漢文、ときどき読書

石見清裕『唐代の国際関係』

 

唐代の国際関係 (世界史リブレット)

唐代の国際関係 (世界史リブレット)

 

 「つまり唐の統一とは、中国の統一というよりはむしろモンゴリア南部と華北で形成される地帯の統一なのであり、その力が長江流域にもおよんだとみるべきなのである」 

  とにかく、この視点がかっこいい。 現在の国の形、中国史というイメージで語られる範囲を乗り越え、大きなユーラシア大陸の歴史の中に中国史と唐の統一を位置づけた本です。

 石見先生の博士論文が国会図書館のホームページから読めるようになっているのですが、この論文も本当に面白かった。

 隋末唐初というとさまざまな勢力が勃興し「皇帝」を名乗った群雄割拠の時代。そして、唐の統一と玄武門の変による李世民の権力奪取、貞観の治の現出という風に、長城以南、華南までの「中国」の戦乱と統一の時代と思いがちなのですが。

 実はそうではなく、この戦いの主要なプレーヤー、もう最強クラスの群雄といっていいほどの力を持っていたのが長城の北にいる突厥の国。むしろ、唐にとってみれば、長い統一戦争のラスボスはこの突厥。それまでの中原・華南の平定戦は突厥に挑む挑戦者を決める長い国内リーグ。突厥政策の路線争いを一つの遠因とした玄武門の変は、李世民による対突厥戦のための準備、国内固めだったのかとすら思えます。

 『三国志』の官渡の戦いや赤壁の戦いを表す「天下分け目の戦い」という言葉は隋末唐初においては、もしかすると貞観四年の唐対突厥の全面戦争に冠されるべきなのかもしれない、とすら思えます。そして、この戦いは明らかに前二者と「分け目」となる範囲が異なる。「官渡」は華北の、赤壁は長江流域の覇権を賭けた戦いであったのと同じように。この時代の「天下分け目」は石見先生が言う「一体化が進んだモンゴリア南部と華北」の覇権を賭けた戦いであったわけです。

 後漢の崩壊から約400年。隋唐の時代までに、いかに北方異民族と狭義の漢族、漢族の集住する地域との関係が深まり、混ざり合い、融合し、生まれ変わり、新しい中華帝国となったのかとうことをがこのことからも感じられます。

 後漢末以来、唐までの期間に起きた「中華の崩壊と拡大」の一諸相を感じた読書体験でした。

 

 主要な文献は以下。

  森安孝夫先生の下の書籍もこの辺りのことに加え、ソグド人の役割も解説され非常に面白いです。

 

シルクロードと唐帝国 (興亡の世界史)

シルクロードと唐帝国 (興亡の世界史)