積水極むべからず

漢文、ときどき読書

光武帝への思慕

 李世民は歴代皇帝の中でも特に歴史を愛好し研究した人。前代の君主、リーダーに対していろいろ批評を加えています。その中で数少ないプラス評価(と思われる)人が後漢光武帝です。

 「赤心を推して人の腹中に置く」というのは、光武帝が直前まで敵であった降伏兵の中を無警戒に歩き回ったことから、その誠実さと勇気を称された言葉と言われています。これにより、降伏兵らの心を捉え従わせることに成功したようです。

 李世民もこの言葉を引用してる場面があります。即位直後、突厥の大軍に長安近郊まで侵攻されるという「国難」とも言える事件が発生。賄賂やら伏兵やら恫喝やら硬軟織り交ぜた対応でなんとか撃退するのですが、彼は唐朝北辺の安定化を求め突厥に打ち勝つことを決意。遊牧騎馬民族突厥と互角以上に戦える精兵の育成を始めます。

 当時臨御していた東宮・顕徳殿の庭に数百人の兵を入れ自ら指揮を執って射撃の訓練を始めます。しかし、考えて見れば宮中に武装した兵を大挙して入れ、しかも皇帝が身近に接するという状況。一人でも悪意を懐くものがあれば、即座に皇帝に危害を加えることがができるからと群臣は大反対。そのときに群臣を退け説得する言葉としてこの光武帝の逸話を引いてます。

李世民「王者は四海を一家とみなし、国の内のものは皆な朕の赤子のようなものと思っている。心を推して一人一人の腹中に置くべきであって、なぜ宿衛の兵に疑いを加えるようなことをしようか」。

 こうして世民自ら育て上げた精鋭は数年後に李靖に率いられ出陣。遠く長城外で突厥から勝利を得る原動力になりました。

 まあ、降伏兵ではなく味方の近衛兵ということなので光武帝よりは難易度が少ないでしょうか。

 あと、このとき群臣が反対したレトリックが少し面白く。「律によれば、武器を持って皇帝の居所にやってきたものは絞殺にするほどです」と律を持ち出してます。

いつの時代の律なのか分からないですが、唐は律令により皇帝自身が規制を受ける事例がけっこう多く見られるのでこれも時代的な描写なのかな、と思います。

 

史料は以下

於是日引數百人教射於殿庭,上親臨試,中多者賞以弓、刀、帛,其將帥亦加上考。群臣多諫曰「於律,以兵刃至御在所者絞。今使卑碎之人張弓挾矢於軒陛之側,陛下親在其間,萬一有狂夫竊發,出於不意,非所以重社稷也。」韓州刺史封同人詐乘驛馬入朝切諫。上皆不聽,曰「王者視四海如一家,封域之内,皆朕赤子,朕一一推心置其腹中,奈何宿衛之士亦加猜忌乎!」

「是に於いて、日々数百人を引きて殿庭にて射を教う。上、親しく試に臨み、中(当)たること多き者、賞するに弓・刀・帛を以てす。其の将帥また上考を加う。群臣多く諫めて曰く「律に於けるや、兵刃を以て御在所に至る者は絞。今、卑砕の人の弓を張り矢を挟むるを軒陛の側に於いて使う。陛下親しく其の間に在るに、万一、狂夫の窃かに発し、不意より出づるもの有らば、社稷を重んずる所以に非ざるなり。韓州刺史封同人、詐りて駅馬に乗りて入朝し切に諫む。上、皆聴かず。曰く「王者は四海を視ること一家のごとし。封域の内、皆な朕の赤子。朕、一つ一つ心を推して其の腹中に置く。奈何ぞ宿衛の士、また猜忌を加えんや」(『資治通鑑』巻192)

 

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