積水極むべからず

漢文、ときどき読書

隋唐

拓跋氏と老子はどちらが貴いか?(李氏の出自)

唐代の皇族、李氏は漢族の貴族「隴西の李氏」に連なる家系であると自称している。 ただ、唐代当時からこの自称はあまり信じられておらず、唐初にこうした正式見解を使い始めたころから実際の所「経歴詐称」であることは公然の秘密だったようだ。 ついには当…

房・杜を見いだした人

李世民の覇業とその後の政権維持を支えた房玄齢と杜如晦。「房・杜」と併称され、名宰相の代名詞とされる二人だが、李世民と出会う前、隋朝時代に同じ人物にその能力を高く評価されている。 それが当時、吏部侍郎の職にあった高孝基(生まれは北海の人)とい…

高熲の息子

第一次遣唐使の返使として唐から日本にやってきた高表仁という人がいる。 実はこの人、隋文帝の数々の改革を支えた名臣中の名臣、高熲の息子ということが判明。 概説書などでもさらっと触れられることがある高表仁だけど、まさかこんな豪華経歴の持ち主とは…

娘子軍

平陽公主という人がいます。李淵の三女、李世民の同母姉に当たるこの人は、隋末の争乱期に軍を率いて武勲を挙げたという本物の「戦うお姫様」だったりします。 李淵が挙兵したとき、既に嫁いでいた彼女は夫、柴紹とともに長安にいました。長安は当時はまだ隋…

光武帝への思慕

李世民は歴代皇帝の中でも特に歴史を愛好し研究した人。前代の君主、リーダーに対していろいろ批評を加えています。その中で数少ないプラス評価(と思われる)人が後漢の光武帝です。 「赤心を推して人の腹中に置く」というのは、光武帝が直前まで敵であった…

玄甲軍

李世民は即位する前、優れた将軍、唐朝の遠征司令官として大活躍します。強力な騎馬親衛隊を絶妙なタイミングで投入(というか自ら率いて突撃)する戦法を得意として勝ちを収めていました。『資治通鑑』によるとその勝利の決定打となる親衛隊は「玄甲軍」(…

李靖と魏徴への敬意

『隋唐嘉話』*1という唐代の歴史家がまとめた書物に李靖と魏徴と李世民の関係に関する面白い逸話が載っています。 世民は李靖とくつろいだ様子で(私的に)会う時には、常に李靖を「兄」と呼んで臣下として扱わなかった。帝位に即いてからは、魏徴と語り合う…

詔書の偽造と社会不安

太原に挙兵するに当たり、李淵は社会不安を煽るために煬帝名義のひどい内容の詔書を偽造して社会不安を煽りました。 「周辺の二十歳~五十歳までの全男子を徴兵し、高句麗討伐に動員するというもの。この詔書を受けた周辺住民は当然、隋に対する怒りをかき立…

李世民と長孫皇后

「創世の龍」に長孫皇后が出てきた記念とういことで、李世民とその正妻の長孫皇后がいかにらぶらぶだったかについて語ろうと思います。『旧唐書』と『新唐書』によると、李世民には十四人の息子と二十一人の娘がいて、「おお…子だくさん……」って感じなのです…